「願い事」は、しちゃダメだ。

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誤解の無いようまず言っときますが。
お願い事をする文化や、信じる人に対してどうこう、という訳ではなく
むしろ自分への教訓であって、
それがちょっとでも共感した他の人の為になれば、という事なので
悪しからず、ね。
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ロマンチストの僕がこんな事言うの、
自分ながら驚きですが、

本当に叶えたい願いは、
「願い事」しちゃダメだと思う。

理由はシンプル。

自分の力で叶える事ができないから、
「願い事」にする訳であって。

自分の力で叶えられるんだったら
わざわざ「願い事」になんてしないで、
とっくに計画、実行もしくは成功させてるよね。

「願い事」をするっていう事は、
自分の無力を認めている事、
もしくはできなかった時に自分以外の所為(せい)にする逃げ道を作ってる事だから。

例えば朝、外出先で、その夜観たいテレビ番組がある時。
わざわざ「今晩あの番組が観れますように」って七夕の短冊に書いてから、
1日を過ごしますか?

いいえ。

なんで?

だってその番組を観る為に、
朝から晩まで、どういう風に1日を過ごせばそのテレビ番組が観れるか。
1つ1つのステップが明確に解ってるから。

1から10まで、その番組を観る為の手段を、自分で計画して実行できるって解ってるから。

逆に、本当に観たいテレビ番組だったら、1から10の、例えば9ステップ目に、
結果を運や天に任せなきゃいけない手順にしますか?
(例えば、9.商店街のクジでテレビを当てる→10.家に帰って観る、みたいな)

いいえ。

1から10まで、確実に、努力すればできる手順を考えて、整理して、
冷静沈着に遂行していくよね。

人生の目標も一緒だと思う。

遠ければ遠い目標ほど、
1から10とかシンプルな手順じゃなくて、
1から100とか1000までステップを踏まなきゃいけないかもしれない。

時には20ぐらいから、何年も前に進めない事もあるかもしれない。

時には99までいった後に、
実はどこかで間違えたステップを踏んでた事に気付いて、
5ぐらいからやり直さなければいけないかもしれない。

でも大事なのは、1から終わりまで、
自分の頭でステップを考えて、
自分の足でその階段を1つ1つ踏み越えていく事。

そしてそのステップがどんなに多くて長い道のりでも、
どんなに難解で踏み越えられなそうな1ステップがあってたとしても、

運や天に身を任せて、突然空を飛べるようになると思わない事。

自分自身、人生の目標をまだ1%も叶えられていないので偉そうな事は言えないのですが。
むしろ、自分自身、本来「願い事は叶う」とかそういうロマンチックな考え方が大好きなのですが。

だからこそ

だからこそ

こんなにアンチロマンチックな事を書いてみました。

本当に叶えたい願いがあるから。
みんなにも、本当に叶えたい願いを叶えてほしいから。

may all your wishes come true,
すわだいすけ

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